
無論、ぱらぱらとめくる感覚やそれにかかるコストから来る手軽感に付いて、ネットと紙媒体を比較するほど無粋ではないし、第一違うメディアを比較すること自体に意味はない。とは言え両者が全くの別物だと言い切れる程、両方のメディアに対して精通している訳でもない。あくまで1ユーザーとしての考えに過ぎないのであるが、現実問題として山積する諸処の「常識」をある程度迄はひっくり返さないとならない時期に来ているのではないだろうか。
例えば持ち運べるサイズのテレビは確かに情報伝達能力に優れているが、市民権を得ることは出来なかった。これは何故だ?単に情報が早ければよいのであれば、持ち運べるサイズまで小型化したテレビを持ち運び、四六時中ニュース番組を垂れ流していればよかったのではないだろうか。消費電力や開発コストからくる全体的なコストの上昇がそれを妨げたのだろうか。いや、それならば携帯出来るサイズのラジオはどうだ?これならば手の届きにくい価格ではなかったはずだ。
そもそも必要な情報とはなにか?そこに着眼点を置かなかったマスメディアの衰退は、読者貴兄はご存知の通り。情報ソースとしてのテレビ、新聞、書籍を含む雑誌の中でまともに生き残っているものは1つもない。テレビはニュース番組こそ不変であるが、その他の番組の質は毎年確実に低下していると言わざるを得ない。新聞は購読者がネットの普及とともに下落、存続の危機に立たされているのは言うまでもない。そして書籍。いつからこんなに本を読まなくなったのだろうか。
その答えの1つはインターネットに代表されるインフラストラクチャの技術進歩にあるだろう。必要な情報はネットを見れば好きな時に引き出すことが出来る。勿論ネットに繋がっているという状況を何らかの方法で作り出さなければならないのだが、それはネット繋ぎ放題等に代表される商品の低価格化、つまり企業が努力することにより解決の糸口を見つけることが出来た。インフラ関連企業は、それを行うことにより自分たちの利益が生じるという理由から発展を遂げてきたとも言える。結果、新聞等よりも安価で手軽に手に出来る情報にユーザーが移行するのは当然のことだろう。
単に受け身として情報を得るだけでも、ネットは便利だ。ネットが普及することにより、膨大なデータベースを持ち歩くというのに同義になった訳だし、逆にこちらから伝えたいことを自由(語弊があるかも知れぬが)に配信することも手軽に可能となった。つまり時代が変わったのだ。
雑誌や新聞、そして書籍がなくなることはないだろう。それは時代が証明している。ただ、石版に刻み付ける文字が布になり紙になったように、「紙」メディアとして存続しなければならない理由はどこにもない。次に来る媒体がなになのかは想像にお任せするとして、いつまでもそれにすがっていなければならないという理由はどこにもないのだ。そしてそれらを提供する側の企業体が自己を存続させる為には、それでもどこかで利潤を生まなければならないという矛盾が依然として存在する。これを解決する為にどこかでだれかが大鉈を振るわなければならないのだが、誰だって痛い思いはしたくない…そして堂々巡りが始まってしまう訳だ。
個人的には過去1年間で数える程しか書籍雑誌類を購入していない。文字を読まなくなったのではなく、紙を買わなくなったのだ。依然として書籍等でしか入手出来ない情報もあるが、それらは「紙」というコンテナに押し込む必要は既にどこにも存在していない。懐古趣味ではないが、逆に本(や雑誌)として得たい情報が無くなってしまったのかも知れない。個人的な趣向にも左右されるが、紙でなければ…と思うような情報は最近なかなかお目にかかれなくなったのではないだろうか。
Tags: words
November 15th, 2009
ジブンも自然と音楽やゲームをパッケージで買わなくなってきました。
本当にイイ音で聴きたかったり、手元にとっておきたいものは
やはりパッケージで買うのですが、それでもなかなかどうして
今時ってパッケージのものは最早ファングッズに近い感じがします(^ ^;
November 16th, 2009
まぁ、そんな感じですね〜。